『いだてん』のクーベルタン男爵って?オリンピックとの関係は?

「オリンピックは、勝つことではなく参加することに意味がある」という言葉は皆さんどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

この言葉はある男爵の演説中の言葉です。最近の日本では金メダルや入賞などを称賛し注目しますが、4年に一度しかないオリンピックというスポーツの祭典に参加することができるだけで、その選手は全員から称賛されリスペクトされないといけないでしょう。

 

さて、この言葉を世に広めた男爵とはいったい誰なのでしょうか。

その名をピエール・ド・クーベルタンといいます。クーベルタン男爵は近代オリンピックを提唱した人物です。2020年の東京オリンピックが開催されるのも、クーベルタン男爵が近代オリンピックの再興を訴えたからなのです。このことから、クーベルタン男爵は「近代オリンピックの父」と呼ばれています。また、この人物はあの有名なオリンピックの旗に描かれている五輪を生み出した人でもあります。

では、このクーベルタン男爵とはいったいどんな人物なのでしょうか。その生涯と一緒に見ていきたいと思います。

 

教育からスポーツへ

1863年1月1日、名門貴族の三男としてパリで生まれます。当時、貴族の家系で生まれた男子の多くは士官学校に通い、軍人や官僚、政治家を目指すのが常でした。しかし、クーベルタン男爵は決められた進路に満足することができず、次第に教育学に傾倒するようになりました。

当時、イギリスでは産業革命が起き教育に力を入れられるようになっており、スポーツの制度化が進んだことで教育に取り込まれていくようになりました。クーベルタン男爵がいたフランスはナポレオン3世の第二帝政が倒され共和制に移行するなど混乱期にあった。そんな中、クーベルタン男爵は普仏戦争でフランスが負けると繁栄していたイギリスをお手本にフランスの教育の改革こそフランス再興の手掛かりになると考えたのです。

 

1883年にクーベルタン男爵は初めて英国に渡ります。名門パブリックスクールを視察し精神と肉体の融合の大切さを学んだ。イギリスの学生は積極的にスポーツに取り組み知識詰込み型の教育をおこなっていたフランスとの違いに衝撃を受けたのです。

その後もクーベルタン男爵は各国を回り、見聞を広め様々な人脈を作っていきます。スポーツ先進国のアメリカに渡ったり、世界各国にスポーツ教育についての質問状を送ったりしました。

こうして自国の教育改革のために各国のスポーツ教育を視察して回るうちに、「国際的スポーツ祭典」の構想を頭の中で膨らませるようになりました。国が一つにまとまることができる「スポーツ」から、世界がひとつにまとまることのできる「スポーツ」へとクーベルタン男爵は昇華させようと考えたのでしょう。

 

「古代オリンピック」から「近代オリンピック」へ

クーベルタン男爵がスポーツの祭典への構想を膨らませていたこの時代はヨーロッパ全体で古代オリンピックへの関心が強まっていました。なぜなら、1852年にドイツの考古学者によってギリシャのオリンピアで遺跡が発掘されており「古代オリンピック」への夢がヨーロッパ中で膨らんでいたのです。

クーベルタン男爵がオリンピックの再興に動く前から、そうした動きは何度かありました。1850年代にはイギリスの小さな町でオリンピックと銘打った大会が開かれたり、それよりさかのぼること20年前の1830年にはスウェーデンで2度スカンディナヴィア・オリンピック大会が開催されている。それに刺激されたクーベルタン男爵は、限られた地域での大会ではなく、世界中の人々が参加するスポーツの祭典として古代オリンピックの復活を目指したのです。

 

ここで少し古代オリンピックについてまとめてみましょう。

古代オリンピックは考古学的には紀元前9世紀の古代ギリシアで初めて行われたといわれています。古代オリンピックはヘレニズム文化における重要な宗教儀式だったのです。古代オリンピックはスポーツだけでなく芸術の祭典でもあり、全能の神ゼウスなど神々を崇めるお祭りだったのです。

最初のオリンピックの種目は400m競争や長距離走、レスリング、5種競技(短距離競争、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリング)、ボクシング等等、道具をあまり使わない陸上競技や格闘技が中心でした。

当時のギリシアでは戦争が絶えず、各地域が領土を求めて戦っていました。しかし、宗教的に重要だったオリンピックは戦争を中断しても参加しないといけなく、オリンピック開催期間は別名「聖なる休戦」といいます。この期間はオリンピックが開催されたオリンピアまでの旅を含めて3か月ほどになったといわれています。

しかし、393年を最後にオリンピックは一度終焉を迎えてしまうのです。

 

そんな「平和の祭典」であるオリンピックに世界がまとまる可能性を感じたクーベルタン男爵はオリンピック復活を目指して動き出します。最後の古代オリンピックが開催されてから約1500年たった1892年11月にフランスのスポーツ連盟5周年記念式典でクーベルタン男爵は「ルネッサンス・オリンピック」という題名の講演を行った。そこで初めてオリンピックの構想を公にしたのです。この時の反応は微妙なものでしたが、クーベルタン男爵はあきらめず築いていた人脈などを活用し徐々に賛同者を増やしていったのです。

そして、1894年パリ大学で行われたパリ国際アスレチック会議において「オリンピックの復興」が議題に上がりました。そこで満場一致で可決され、第一回大会は1896年、古代オリンピックが行われていたオリンピアのあるギリシアで開催されたことが決まりました。また、古代オリンピック同様に大会は4年に一度開催されることになりました。大会が世界各国の都市において持ち回りで開催されることや、オリンピックにおいて最高権威を有する国際オリンピック委員会を設立すること等、近代オリンピックの根幹となる土台がここで作られたのです。

国際オリンピック委員会の初代会長にはギリシア人のデメトリウス・ビケラスが就き、クーベルタン男爵は事務総長に就いた。クーベルタン男爵は会議においてスポーツの力は世界平和に貢献するという後のオリンピズムといわれるオリンピックの理念を表明したのです。スポーツ、またスポーツを取り入れた教育によって一つにまとまることができ平和を実現できるというクーベルタン男爵の理念は彼の人生そのものを表すものでしょう。

最期に

ここでオリンピック憲章の一説を紹介させてもらいましょう

  • 2 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。
  • 3 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。

(オリンピック憲章 Olympic Charter 1996年版 (財)日本オリンピック委員会参照)

もう、皆さんはこのオリンピック憲章にクーベルタン男爵の哲学を見出すことができると思います。2020年東京オリンピックにおいて、選手たちの超人的なプレイに感動するでしょう。しかし、皆さんはそれだけでなく「近代オリンピックの父」クーベルタン男爵が掲げた「平和の理念」を知りながら「平和の祭典」を真に楽しむことができるでしょう。

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